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留萌の四季

30年後の上高地帝国ホテル

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昭和39年1月 雪にけむる穂高連峰(上高地河童橋より)

平成2年5月の連休。私は妻と娘を伴って、北アルプスの玄関口、上高地を30年ぶりに訪れた。
山の好きな人にとっては、一度は行ってみたい、上高地。
その入り口に、穂高を背に、梓川の畔に建つ、赤い屋根の帝国ホテル。
約30年前の学生時代の4年間に、このホテルの前の道を何度通ったことだろうか。
いつも、自分の体重ほどの荷をつめたキスリングを背負い、戦闘艦のようにごつい山靴を履き、両腕を前に組んで、隊列の前を行くライバルのカカトと地面を見ながら、時折発する「ファイト!」のかけ声以外は、ただひたすらに黙々と歩く、縦一列の若者の集団。
ホテルへ続く脇道を、横目で見ると、緑の木立の奥に、赤い三角屋根が何時も飛び込んできた。
元気一杯で入山する時も、疲れ果てて足を引きずりながら下山する時も、何時かあのホテルをゆっくりと訪れてみたい夢を抱きながら通過したものだ。
当時は貧乏な学生時代。
金持ちになって訪れてみたいということではなく、自分を酷使する旅の始まりと終わりにある上高地。
そこに建つ帝国ホテルの持つステ-タスなイメ-ジと現実との落差からくる憧れ。
いつか実現してみたい、ささやかな夢として捕えていたのだろうと思う。
往時、春夏秋冬に上高地を訪れた回数は、20回ほどになるだろうか。
過酷だった登山の思い出は、旅の起終点であった、ここ上高地に多くが凝縮されている。

・・・・・・・・・新入部員の登竜門・・・・・・・・・・

毎年5月の連休を使って行う、新入部員訓練合宿。各大学の山岳部は、今年獲得した新入部員が、過酷な肉体労働に、危険を伴う山行に、耐える能力を持っているかどうかを、判断する最初の合宿となる。
尺4と呼ばれている、横幅1m余もあるキスリングに、食料、大鍋、テント、灯油、米袋等を新入部員に荷分けし、上級生は自分の寝袋と私物の他は、少々の合宿荷物の配分という、大きなハンディキャップの下で、伝統的訓練は行われる。
夜行列車から電車、バスに乗り継ぎ上高地へ。すぐ荷物を背負い、平地の行進から、山に入り、標高2400mのまだ深さ5mほどの雪に覆われた、涸沢カ-ルの、すり鉢の底のような平地に着くまで、休むことは許されない。
遅いと、ピッケルで尻に、愛の鞭を受け、雪渓に足を滑らせ、また立ち上がるのに、重い荷の腰切りに、かなりの体力を消耗し、ほうほうの体でキャンプサイトにたどり着く。
休む間もなく、テント設営、夕食当番、食後の後片づけと食器洗い。
空を見ると、雪山の彼方に星が瞬き、凍える手をポケットに突っ込み、テントの出入り口に宛がわれた、寝袋にやっと入ることができる。
昼の疲れでたちまち寝てしまうが、雪の上の身体は、夜中頃にはすっかり冷え切り、寝袋の中でガタガタ震え始める。
夜の明けないうちに、食事当番の起きる時間となり、バ-ナ-の熱でテントが温まると、束の間の睡眠をむさぼる。
今日は雨で、周囲は霧で見えない。
本日の訓練は、滑落停止とザイルワ-ク。雨で濡れている雪の急斜面に仰向けになり、背中をつけ、両腕と両足を上げて滑り出し、スピ-ドがついたところで、ストップのかけ声。
瞬時に、体を反転して腹を雪斜面に向け、両腕で握ったピッケルに全体重をかけ、雪に刺した先端の制動力を利用して滑落を止める。
滑る時、めくれた上着の中に、背からも腹からも、ベタベタ雪が入り、体温で溶けて、下着はびしょびしょ。

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小雨の中の滑落停止訓練
次の訓練は、ザイルで互いに繋がれた二人の内、どちらかの一人が滑り落ちるのを、もう一人がピッケルを深く雪に刺して、杭の役割をさせてザイルで止める、コンテニュアスの訓練。
同じく、びしょびしょになる上、予告なく突然滑り落ちるので、一瞬の遅れで間に合わず、止めがうまくいかないと、一緒に滑り落ちてしまうので、気が抜けない。
少しでも、さぼりの気配があると、周囲で上級生が見ているので、叱咤激励の声が飛ぶ。
昼食は、イチゴジャムにカニヤ製菓の保存カンパン。
下着まで濡れていて気持ち悪いので、座らず立ったままで食事をとる。
午後は、テントに穂高降ろしの冷たい風が吹き付けるので、雪のブロック切り出しと、防風雪壁の積み上げ作業。
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雪のブロック切出しと壁の積上げ作業
この頃になって、ようやく周囲の景色を観賞できる余裕が出てくる。
北穂高、奥穂高、西穂高、3・4のコル、5・6のコル、涸沢岳、ザイテングラ-ド、そして井上靖の「氷壁」にも登場した岩登りの殿堂「滝谷」の場所を、先輩達に教えてもらう。
基礎訓練が終わると、新入部員の技術の程度でグル-プ分けし、より困難な過程へとステップアップしていき、訓練の1週間が終わる。
最後の日は、途中でよく脱走しなかったものだと思いながら、朝食もそこそこに、大急ぎでテントの撤収をする。
水を含んでバリバリに凍った重たいテントや濡れた寝袋等をパッキングすると、入山した時と重さはさほど変わらない。
駈けるように、上高地まで一気に下山する。
鍋の角や、凍った固いテントが、降りに背中で上下し、背骨のところが赤むくれ。
靴の中では、足裏に豆ができ、手当のできないまま終点上高地へ。
バスを待つ間、赤チンで応急手当。
松本で現地解散後、中央線経由で、東京の下宿先に、疲れてよれよれでたどり着き、合宿終了となる。
背中と足の後遺症はしばらく続くが、不思議なことに、また山へ行きたい気持ちが、自然とわいてくる。
この後、夏山縦走、秋山訓練、初冬季富士山合宿、そして冬山、春山合宿を経て、2年目からは、上級生として指導と自分の訓練に当ることとなる。

・・・・・・・・・山の神様がくれた幸運・・・・・・・・・・

3年の時の春山合宿では、3週間の縦走の終点が、上高地だった。
冬期は、夏の賑わいとは大違いで、観光客は誰一人もいない、自然そのままの上高地だった。
明神池の付近で、「山のひだや」の小屋番とばったり出会い、情報を交換している内に、12名全員を泊めてやるから、合宿の疲れ直しに2、3日上高地で遊んでいかないかという物語になり、雪山でのテント生活から、快適なロッジでの慰労合宿となった。
梓川の支流は、まだ雪の中にあり、岩魚が雪の下の水溜りで冬眠しているのを、雪をどけて正気に返る前に、素手で難なく捕まえる方法を教えてもらい、また、明神池の、冷たくあくまでも透明に澄んだ流れの中を、片手に円網を持ちながら、一人こっそりと、岩魚獲りに夢中になったりして、本当にゆったりとした楽しい時を過ごすことが出来た。
もう少し泊っていく者と、早発ちのグル-プのほぼ半分に別れ、私は先に帰ることにした。
その日の天候は、曇りでしたが降雪はなく、行動日としては快適でした。
大正池の砂防ダムを過ぎ、「釜トンネル」に入るまでのル-トは、崖を削って走っている夏のバス道は全く無く、急斜面を横切る雪道でしかなかった。

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梓川大正池 このすぐ下流にコンクリートダムがある
トンネル入口の、200mほど手前で、先頭のO君が、突然スリップしてしまい、アッという声をのこして、30mほどの崖を転落し、梓川に消えて行った。
一瞬顔から血の気が引き蒼くなったが、覗き込んで声をかけると、下から苦しそうな返事がある。
川は、雪に閉ざされて、水面がまだ出ていなかったので、助かった!
とりあえず、残り全員を、安全な所まで後退させ、F君と二人で、川に降りれる場所を探したが見つからない。
やむなく、高さ10mほどのダムの垂直壁を、下の雪溜まりに向かって、無我夢中で飛び降りた。
雪は、柔らかかったのでクッションとなり、また、衝撃で雪が割れて、下を流れている梓川に落ちることなく、二人とも無事着地した。
崖縁の雪の厚そうなところを選んで川の上を進み、何とかO君の所までたどり着いた。
O君の怪我の状態は、背中に荷の入ったキスリングを背負っていたので、背から雪に落ちて、一瞬息が詰まったが、致命傷は無い模様。
ただ、墜落の途中、岩棚で右ひざの、皿の辺り強打し出血しており、歩行はできない状態。
O君を背負い、中央部を避け、川の端の雪の厚そうな所を歩くが、足は、一歩踏み出す毎に、膝まで埋まる。
それでも、何とか登れそうな、急斜面の下まで辿り着き、F君と交替。
彼は、自分より重いO君を背負って、足と手と全身を使ってよじ登る。
また交替。
3週間の春山合宿で疲労した体があえぐが、何とか持ち応え、トンネルの入り口に辿り着き、中にO君を収容し、ホッと一呼吸。
F君は、ダムの所で心配して待っている、後輩達を誘導しに、私はこのトンネルを出たところにある「中の湯温泉」にO君を背負って収容にと、二人は反対方向に別れる。
時々痛そうに呻くO君を背負い、真っ暗な、しかし以外に温かいトンネルの中を、トボトボと歩く、2本の足と2人。
このトンネルは、かつて大正時代、建設中に亡くなった作業員が埋められており、そこが丁度、人型となって濡れていると言う場所の通過。
雨だれの音が、背中から追いかけてくる。
向こうに少し見え始めた出口の薄明かり。
背中の荷の重さに押され、またもうひとつ、ため息が「ホッ」とでる。
500mのトンネルを出て、また雪道を行き、バス停小屋で一休み。
さらに、橋を渡り、「中の湯温泉」に収容し、傷口の仮手当てをし、布団に寝かせるが、絶えず膝の傷口の痛みを訴える。
明日は、バスの来ている沢渡まで、雪道を数時間かかるだろうが、交替で背負って行き、医療設備のある松本で医者に診てもらわなければならない。
あの高さを、一気に墜落して、よくこの程度の怪我で済んだものだと、運の強さに感謝する。
しかし、F君と別れてから3時間も経過し、そろそろ日も傾き始めているのに、彼らが戻って来ない。
心配で迎えに出かけたが、途中で、会うことができた。
F君の説明によると、彼が後輩達の待っているところに戻り、隊列を整え、トンネルに入ろうとしたが、その直前に雪崩が発生しており、入口は雪で埋まり、全く跡形も無くなってしまっていた。
再度、雪崩の発生もあるので、すぐ引き返し、今日もまた「山のひだや」泊まりとあきらめ、戻ること小一時間。
ふと人の気配を感じ、後ろを振り返ると、早足で追い付いてくる人がいる。
聞くと、上高地のI旅館のオヤジさんで、今、「釜トンネル」を抜けてきたとのこと。
あの入口付近は、よく雪崩があり、中に用意してあるスコップで、たった今穴を開けてきたばかりだという。
これで戻れると、皆大喜びし、掘りたてのその雪穴をくぐり、ようやく戻ってきたとのことでした。
傷の痛さで唸りながら寝ているO君を除いて、久しぶりの温泉と田舎料理に舌鼓をうちながら、長かった今日一日を思い起こしてみる。
もし、O君の怪我が致命傷だったら、もし、梓川の雪を踏み破り、雪融けで増水している冷たい川に落ちていたら、もし、O君を背負ったまま、雪崩の巣ともいえるあの急斜面で、雪崩にあっていたら、もし、あのI旅館のオヤジさんが追いついてこなかったらと、運が憑きっぱなしの今日に、F君と二人で、湯の華の浮かぶ、風呂の中まで、話に花が咲きました。
そういえば、彼は、今合宿最後のアタックで、槍から北穂往復を2回行動し、その疲れもあったのだろうか、2回目の帰り道、降り雪氷急斜面で、アイゼンを足に引っ掛けて滑落してしまった。
瞬間のことなので、同行の目撃者が、F君の名前を絶叫して、もう駄目だと思ったが、皆が気付いた時は、練習通りのピッケルワ-クで、崖の縁で停止し事なきを得ていた。
この、F君が、今合宿の、最大の幸運の女神だったのかもしれない。

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あれから30年。
今日の上高地は、5月の連休というのに、あいにくの小雪模様。
初めて入る帝国ホテルの建物。
中はうす暗く、照明はランプで、玄関より入って、数段高いフロア-がロビ-風になっている。
そこに、鉄製の紡錘形をしたとても大きな煙突が、鎖で高い天井から吊り下げられ、そのすぐ下の暖炉には、薪がパチパチ音を立てながら燃えていて、とても暖かい。
ロビ-の後ろの窓は、ステンドグラスになっており、色模様の向こうから、自然の光が差し込んでいる、とても贅沢な山小屋の雰囲気だ。
切り株の椅子に座り、切り株の狭いテ-ブルに、コ-ヒ-とケ-キを置き、今から30年前、一人はまだ巡り会えず、一人はまだ存在すらしなかった、妻と娘を見やり、時が確実に過ぎて行った事を、幸せを噛みしめながら、自分の心と身体で感じた瞬間だった。
この娘と同じ年頃の自分が、すぐ前の道を、地面を見ながら黙々と歩いていたのは、30年も前のことだったのだろうか。
一筋の熱い青春時代を謳歌した場所に立ち、丁度50歳という年齢を迎えた今、思いがけず、心の底がうずく、なんともいえなく、懐かしい感傷の上高地を味わうことになってしまいました。

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上高地帝国ホテルと穂高連峰

平成7年6月起稿
小 杉 忠 利

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