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留萌の四季

ヌスクマーペ山

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ヌスクマーペ山より画面中央に横に連なる山の中央が大浦山(198m)、右の山塊がはんな岳(239m)、中央遠方の山が安良山(365m)。
この北側、約2700km彼方に留萌があり、南方向約200kmに台湾がある。
季節は冬なのに、日中の気温は20°を下らず、吹く風が爽やかだ。

平成14年1月4日 快晴

今回の登山は、旅の時間に余裕が出来たので、下調べもせず、観光案内の1枚の地図を頼りに登ることにした。

標高も低く、282mということもあり、道を聞きながら、登攀口にたどり着いたのは12時少し前の真昼時であった。

たんたんと山道を登ること、40分程度でマーペ山の頂上到着。

そこには、筆字で書かれた木製の案内板、「伝説ヌスクマーペ」が掛けられていた。

『昔琉球王国時代、役人が国王の命として、人々を一人残さず強制移住させる「道切りの法」という制度があった。

当時、黒島の宮里村のカニムイとマーペは恋仲であったが、道切りの法により享保7年(1732)に建立された新村、野底村へマーペは強制移住させられた。

毎日カニムイの事を思い泣きもだえていたマーペは、近くの高い山に登って、ふる里を見ようとしていたがオモト山が立ちはだかり、何も見えなかった。

幾日もなげき悲しんだマーペは、頂上で祈る姿で石になった。その後、人々はマーペをあわれみ、この山を野底マーペと呼ぶようになった。』

実は、私は現在沖縄県の八重山諸島の一つである「石垣島」の、この山の頂上におり、眼下の半島「野底崎」の海岸線に広がるエメラルドグリーンの海とリーフの外側に時折起つ白波の美しさに、目を奪われている。

石垣島の形は、どこかアヒルの姿に似ており南に位置する胴体と北に向かって伸びる長い首で形作られている。

マーペ山は、その首のつけ根より、少し立ち上がった辺りに位置している。

この写真は、左に野底村落のある東シナ海と右に太平洋を望み、中央遠方の山の先が島の最北端となる。更にこの北の海上には宮古列島、そして沖縄本島が続いている。なだらかなオモト連峰が続く中で、この、マーペ山は、アサガオを伏せたように山頂が尖っているので、沖縄方面から船で八重山に入ると最初に目につく。

山頂の案内板にも書かれている強制移住により、入植した周辺地域の何処からも、特徴あるこの山を見ることが出来る。

朝夕に山を拝し、辛く悲しい時、病める時、祝いの時、心嬉しい時、何時も変わらぬ姿で応えてくれるマーペ山。

人々の心の支えでもあり、強制移住や戦後の入植秘話のシンボルともなっている。

記録によると、1732年、人口400人余で野底村を新立。そして1905年(明治38)に廃村となり、 173年の歴史を閉じたのである。今でも海辺の洞窟には、当時の入植者の遺骨と思われる白骨があり、マラリヤで苦しんだ、酷しかった時代を物語っている。また、1771年(明治 8年)には、八重山、宮古をのみ込む大津波があり、八重山の死亡者は9300人余にものぼった。

また、先の戦争で沖縄は、米軍の上陸攻撃に遭い多くの方達が亡くなられた。そのお陰で私達は命を永らえる事が出来たと、沖縄を訪れる度に私は手を合わせている。

その、終戦後の1954年(昭和29)、米軍の管理の下に、石垣島の裏石垣と呼ばれていた野底に、再び 880人余の入植が行われた。当時、道路もなくまさに陸の孤島で、道路のある隣部落まで海岸伝いに6キロも歩くという難所であった。きちんとした基盤整備も行われずに入植したことで、結局他の地域へ再入植させざるを得なかった。恐れていたマヤリヤに罹患し死者も出始め、他の入植地と比べても野底地域は、定植困難な地域であった。

野底地区のこの歴史を知った時、私は奥尻島の「神威脇村」を思い起こした。敗戦後「国後島」から夜陰にまぎれて漁船で祖国に逃げ帰った人達が、住む場所を探し求めた結果、最終的に落ち着いた所が、同じシリのつく島「奥尻島」の神威脇であった。

当時奥尻島の中でも、神威脇は陸の孤島と呼ぶにふさわしく、港も道路もなく、勿論電気もなかった。病人が出ると、戸板に乗せ、時には海沿いに、時には獣道を使って、東海岸の医者のいる所まで、20キロの道のりを皆で運んだ。

はるばる国後からたどり着いてはみたものの、そこは何もないところで、テント生活か ら始めなければならなかった。しかも夫々は家族が多く、十数人の人達が一つのテントで暮らすという有様だったが、やがて家が建てられ、学校、道路が出来、港も建設された。

それから半世紀の1993年(平成5)7月12日、奥尻島は激震と大津波に見舞われ198人の犠牲者を出した。

そして、また次の半世紀が経つと、時の流れが色々な事を消してくれるだろうが、これ以上悲しい事が奥尻島に、再び起こらない事を心から祈っております。

この、石垣島マーペ山頂からの写真、南の国の抜けるような空の青さと、光り輝く海のコバルトブルーの穏やかな風景の中に、夫々の時代の過酷な人生を、逞しくこの地に生き抜いた多くの人達が居た事を思い起こす意味を込めて撮影をしました。

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ヌスクマーペ山より野底村のたたずまい
海岸線沿いに県道が走っており、マーぺ山登山口が判らず行過ぎてしまい、聞く人を探してゆっくりドライブしていたら、ミニバイクのお年寄りが追い越しをかけた。
声をかけたらUターンして、私の傍まで来てくれ、わざわざ登山口まで案内してくれた。
太陽のさす真昼時の村には、他に人影は見えなかった。山頂からは、リーフに砕ける白波が見え、コバルトブルーの青は、縞模様の濃淡を重ねながら、水平線付近で、空の青にそのまま溶け込んでいた。

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